御宿海岸

周辺の海蝕崖は勝浦層と呼ばれるシルト岩*が卓越する砂岩・シルト岩の互層で構成された、房総半島東部にのみ分布する白色系の地層であるため、御宿海岸が関東地方では珍しい「白い」砂浜となった可能性がある。また、シルト岩が卓越した地層や海成堆積物が供給元であれば土粒子も小さい。土粒子が小さければ砂浜の勾配は緩くなり平坦な「広い」砂浜が形成される上に、飛砂や波による攪乱も生じやすい。ゆえに、砂丘が発達し、汀線付近は波により流動しやすいため、常に「ふかふか」とした「素足で歩ける」ような物理環境が維持されていると推察される。御宿海岸の「広い」「白い」「(ふかふかして)素足で歩ける」などの特徴は、以上のような、ご当地特有の地形形成過程による貴重な環境と言える。
* 海底や湖沼底などに堆積した泥(シルト・粘土)が、脱水固結して岩石となったもの

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小波月海岸

 御宿海岸というと海水浴という印象があって、これまで写生地としては敬遠していた。が・・・こうした手つかずの自然がある事に驚いた。5月の連休中に訪れたのだが人がいない自然 波とホトトギスともろい岩肌、老人には少々足場が悪くそのことも冒険してる感を生んでいた。この夷隅・・勝浦間にはこうした人の入らない短い砂浜が飛び飛びにあり・・陸地からは近寄りがたい場所で地元も積極的に観光案内しているようには見えない。良いスポットを見つけたと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

メモ

 ツイッターで「人を巻き込まずに、一人で死ね」という発信を巡って論争が起こっている。一方は“そうなった環境条件を考えずに責めるのは人間を切り捨てるものだ”と主張している。・・・そうした人権派的言動の方が『正しい』とは思うのだが・・・なんとも腑に落ちなさが残る。

 政治的・社会的には『一人で死ねではなく、もっと人を頼れ』の方が正しい主張で、追い詰められた人をさらに追い詰めるのは得策ではない・・という論旨はわかる。事実、その後に「自分の息子に手をかける」という悲惨な事件が続いて起きたわけで、論理の問題ではなく、そうした悲惨を誘発しかねない「社会的不安定」が現実にあるという事だろう。

 

 風景画を描こうと・・地元を巡っているのだが・・昭和的家屋はほとんどが廃屋で、新しい家々はどれもセラミック外壁のしゃれた家々が多い。年収が下がっている・・と言われるわりには豪華な家々ばかりである。それも新しく開発された住宅地といった風情で、地域全体が家の作りを競っているように見える。悲惨な事件を起こした事務次官の家もTVで見る限り壁面が円弧の金のかかった作りである。こうした外観の華やかさの裏に。とんでもない悲惨が隠れているのが21世紀の現代なのだろう。

 『一人で死ね』を私個人の考えでは・・一歩進めて『人は一人で死んでいくもの』・・言ってみれば仏教でいう『苦諦』をわかる必要があると思っている。あきらめる・・一人死にゆく者としての諦念が必要だと思う。(説明不足だけど・・・)

 いつまでも「他人がなんとかしてくれる」「他人が悪い」という考え方では「苦」は増幅することはあっても、弱まることはないだろうと思う。快楽原理で生きている現代というものの限界がそこにあるように思う。

 

 退職後の19世紀の“研究?”はトーマスマンからはじまった。「なぜトニオ・クレーガーは(つまりマンは)、世界の描いてくれと言っている物達の声を拾い上げる事にあれほど逡巡したのか?」という疑問からはじまった。「トニオ」の最後で、さあこれから描ける・・と予感しながら、「非政治的人間の・・」とか「魔の山」とか、さらに「トニオ」の別バージョンの「ベニスに死す」をなぜ描いたのか?・・・・・

 

 メモ (新)アカデミズム=新写実主義・・ホキ美術館??

 

 御宿の小波月・・について

  千葉県の夷隅郡(大原)から鴨川にかけてリアス海岸?が続く、見たところ泥岩が層をなして積み重なっているように見える。同じような短い海岸と崖が交互に連なっているようだ。小浜海岸、釣り師海岸、田尻海岸・・等など(後で訂正予定)そして最後が有名な「おせんころがし」で行川アイランドになるらしい。どこも崖崩れとそそり立つ岸壁で立ち入りが困難で・・観光客も少なく知られていない。

 

 

本質は現象する1

2017年1月7日

<本質は現象する>という言葉をもてあそんでいる日々・・なんて年賀状に書いたら、反応が多々あった。これはヘーゲルの言葉なんだが「自分自身がずっと忘れていた言葉=考え方」で・・・昔はそんなことをよく考えていたな・・・と思ったのだが、記憶の底に埋もれていた・・のか記憶が明瞭ではなかった。

 

 

記憶を辿ってみると・・・高校時代に「表面ばかりを見ないで、もっと本当のところをみなさい」とか「エッセンス」が大事・・なんて言葉は日常的に美術室で言われていた言葉だった。モチーフ(対象)を目の前にして「物をもっと見なさい」という叱責・・「表面しか見てないじゃないか」・・・・現実の物を見ながら・・夢を見ているような感じだった。(10代)

<本質は現象する>とは、逆に言えば、目に見えている対象の背後に「本質」がある・・今見えているのは「表面」でしかない・・・まるで「禅問答」のような物言いだが、そうした無理難題の痛棒によって・・対象の「構造」を掴んだり「質感」を把握したり・・という自分なりの対象把握をつかみだしていったのだろうと思う。

21世紀・・・こうした19世紀的アプローチの意味はどうなんだろうか?と改めて、ヘーゲルの言葉に私は「動揺」しているわけである。つまり19世紀には「描く」という行為はかなり哲学的・芸術的だったようだ。ゲーテもかなり絵を描いていたようだ。

 

音楽がかなり早くから、感覚の標準化とその連関を「楽器」として定着させ、物理的・数学的和声を発見していたのに、美術の色覚の科学的コントロールの方法を手にいれたのは、コンピューターが「色光」を画材として扱えるようになった、ここ20年?ほどのことだろう。人間の感覚を道具として訓練しなくていい時代になって・・すっかり「単純に描くこと」の<神秘性>が無くなってしまって・・・・あらためて

 

<本質は現象する>・・・なんて言葉に驚いている・・ということだろう。