前妻を亡くしてから長い間“親鸞”に傾倒していました。自分の“罪業感”のためでした。

 

 一般に親鸞人気は高いですネ。・・・遠藤周作キリスト教小説「沈黙」にしても、裏切りを許さないキリスト教とそこを問わない親鸞教の違いを問うものだったのでしょう。日本仏教の「母性性」・・全てを包み込んで許す・・という日本的感性と父性原理の西洋との相克を書きたかったのでしょう。 

封建制」という言葉があります。政治制度としてのそれでは無く・・経済的には「自給自足的な経済制度」(と言えるかも?知れません)をイメージしています。日本で言えば「惣村」と言うような自治的村の形成を考えていますが・・それは自治と言っても近代的なものではなく・・村長(おさ)を中心に結合した、地縁・血縁の共同体ではなかったか?・・個人ではなくあくまでも村掟が優先する集団では無かったか?と想像してみます。(全然学問的でないのが残念です)

  

 千葉だと「佐倉惣五郎」の伝説があります。村人のために命を捧げる「義人」であるわけですが・・村のリーダーは否応なく、そうした役割を演じなければならなかったのでしょう。一種の人柱かも知れません。

 

 途中

 

 

 

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