想像と死

 この年齢になると、何度も身内との別離を経験する。・・・が、さあ自分の番だとなると「無宗教」でもいいのではないか・・と最近思っている。

 

 ネアンデルタール人には墓に花を手向けた痕跡があると言われていて、そういう行為=つまり精神活動が人間が人間になった証だとも言われるが・・・いやサルだってネコだって過去の記憶をもっていて、失ってしまった過去と現在とのギャップを自覚することはあるでしょう。半年以上前に死んだ先住ネコの匂いに・・悲しくなくネコの姿をこの目で見ました。・・こうしたズレ、残った記憶が異世界や宗教やイディアを生み出すのでしょう。(こうした延長で・・自分・他者・共同体との関係で宗教を論じるべきでしょうが・今の私にはそんな力はありません)

 

 人が死ぬ・・という突然の非日常体験では経験者=葬送の専門家の力を借りるしかないでしょう。 死んで・・通夜があり 葬儀があり 初七日があり・・・そういうふうに世間通念どうりに時間が過ぎていきます。そして縁者がさり・・・一人の日常に直面する・・・なるほどネ・・・宗教や葬儀が死んだ人のためにあるわけではない・・・のがわかります。

 死者は・・天国や浄土にいる・・と考えないと収まりがわるいのかも知れません。心理的には死者はなかなか死んでくれないようですから。

 

 宗教・・“神”とは抽象的・仮想的・イメージの・文化的存在だと思っています。想像上の媒介・・仮定された点だろうと思っています。フォイエルバッハの言うように「人間が神を作った」という考えは私の中で揺るぐことはありません。人間の知ることの出来ない膨大な領域がある・・と考えることは甚だ不都合な事です。そもそも分からないことを思考するなんてことは・・論理矛盾・悪矛盾?でしょう。