日記1

2017年9月14日

私はこの数年間、19世紀(研究?)にこだわっています。ヨーロッパの19世紀・・知ってるつもりだったのですが・・いやそんなことは全くなくて・・・。

 今、「英文」を読むことをしている訳ですが、インターネット上に広がる英語表現・英語文化の世界こそが「世界」で日本語表現の世界は実にローカルなのだという事を初心者ながら感じています。日本でも「青空文庫」のように自由に無料で読める文献は増えていますが・・本格的には日本文でも書籍に頼らざるを得ないでしょう。ましてプラトンヘーゲルなんかに至っては大枚をはたいて「翻訳書」を購入しなければならないのに・・・英文サイトでは・・・Freeに読むことができます。ヘーゲルの小論理学の岩波文庫版が絶版で、意訳しすぎた長谷川版しか手に入りません。が英訳された小論理学はなんと言うことなく手に入ります。哲学に関して言えばギリシャから・・最近までネット上にあって、それらが共通教養あつかいされているということに驚いています。

 英語力はもともとありませんし、教室でさされて立ち往生した夢ばかり見た私ですから「英語」なんてじんましんが出そうですが・・そこは「老人力」怖い物への感受性が鈍くなったのでしょう・・意外と無理ではなさそうです。易しくて短文の「知られざる傑作=バルザック」の英訳を読んでいます。不思議なことに「日本文」ではマンネリで新鮮さがないのに結構、感動しながら読んでいます。

 >「質料」(ヒュレー)と「形相」(エイドス)を対置して、内容、素材とそれを用いてつくられたかたちという対の概念として初めて用いた人は、古代ギリシアの哲学者アリストテレスである。彼の『形而上学』の中にこういう概念枠組みが登場する。また『自然学』でもこうした枠組みで説明が行われる。
 プラトンが観念実在論を採り、あるものをそのものたらしめ、そのものとしての性質を付与するイデアを、そのものから独立して存在する実体として考えたのに対し、アリストテレスは、あるものにそのものの持つ性質を与える形相(エイドス)は、そのもののマテリアルな素材である質料(ヒュレー)と分離不可能で内在的なものであると考えた。
 プラトンは元来イデアを意味するのにエイドスという言葉も使っていたのだが、アリストテレスが師の概念と区別してこの言葉を定義した。(ウイキ)

一般に「コロリスト=色彩家」と「デッサン家」はお互い対立する概念と美術では言われていましたがバルザックのこの小説でも色彩家のティツアーノ(ベネチア派)とデューラー(ドイツ)を対照して混じり合わない二つの傾向として描いています、


>【自然法】より (ブリタニカ)
…つまり人間をもしそれが何であるか,と問う観点からみれば人間の〈本質essentia〉が問われ,同じ人間をそれは存在するかどうかを問う観点では人間の〈実存existentia〉が尋ねられているのであるが,個々の具体的な人間は,この本質と実存との不可分的合体である。そしてプラトンはこの本質をイデアと呼び,アリストテレスやトマス・アクイナスはこれを形相(エイドス)と呼んだ。この形相が人間を人間として規定して,犬や樹木や石から人間を異ならしめる。…

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 バルザックを“今”読んでいるということもあるのでしょうが、19世紀の主要な潮流に「リアリズム」があったと言えるかもしれません。絵画ではクールベということになるわけで・・リアリズムという主張の説得性は若干落ちるようです。(いいのか・・こんな事言って?)
 リアリズムと言うと何はともあれまずは「表現上のそっくりさ」という事になるのでしょう。伊藤廉さんなどに言わせると、リアリズムは「見て書き」だから、基本様式を持たない・・などとなかば軽蔑的に言われてしまいます、
が・・・がです。私もこうした論議に引っ張られていたのですが・・・そういう表現技術上の問題ではなく・・・「固定的美意識、伝統的美意識ではなく、存在に即して美意識を新たに形成する」というもっと根源的な発想がそこにはあったのではないか?・・と思います。

16:29