本質は現象する2

 2017年1月11日

 

ヘーゲル哲学は<本質は現象する>という文に還元できるのではないか?・・と思っている。

・・・ヘーゲルは未だに読解するのも難しく、読んでも文意がとれない。主語に概念をおく・・概念が展開するという形をとるので普通の文ではない。「それ自身が自分に反照する」のように表現する。・・(もしかして概念の擬人化?・・・と思い・・以下当てはめてみる)

 

理念・・・(社長)・・・人事権・予算執行権・方針策定・執行権

概念・・・(専務)・・・現状認識と方針実行権を持つ

本質・・・(課長)・・・現場と方針の軋轢を知る。部内の矛盾を把握している。

有・・・・・(社員)・・・仕事がだるい。計算と商品と客の目利きができる

 

少し考えてみた。意外とこうした擬人化は悪くないようだ。例えば・・・・

    ・・・・・・・・

「有(Sein)は即自的にすぎぬ概念である。その諸規定は有的であって、それらが区別されている場合には互に他のものであり、それらの本性のより進んだあらわれ(弁証的形式)は他のものへの移行である。この進展は、即自的に存在する概念の不断の開示したがってその不断の展開であり、と同時に、有が自己のうちへはいって行くこと、すなわち有が自分自身のうちへ深まって行くことである。有の領域における概念の開示は、一方では有の全体を展開するとともに、他方ではこれによって有の直接性言いかえれば有そのものの形式を揚棄する。」

 「ところでこの純粋な有は純粋な抽象、したがって絶対に否定的なものであり、これは同様に直接的にとれば無である。」

 「無はこのように直接的なもの、自分自身に等しいものであるから、逆にまた有と同じものである。したがって有ならびに無の真理は両者の統一であり、この統一が成である。」

     ・・・・・・・

 最初の「有」は採用試験の受験者と考える・・・会社にとっては有(社員)でも無(部外者)でもないわけである。・・つまり抽象的存在で、有とは言えないし無(やめる)とも言えない存在である。

 社員になる<成>となることによって、具体的有(規定されたもの=配属が決まり)やめる(退職・・と退職手当)ことができるものとなる

 

>他方ではこれによって有の直接性 言いかえれば有そのものの形式を揚棄する。」

これは「ただの人間」から、役割を持った社員になるということでもあろう。

 

冗談で、試みたことだが・・・意外と当たっているようだ。