本質は現象する1

2017年1月7日

<本質は現象する>という言葉をもてあそんでいる日々・・なんて年賀状に書いたら、反応が多々あった。これはヘーゲルの言葉なんだが「自分自身がずっと忘れていた言葉=考え方」で・・・昔はそんなことをよく考えていたな・・・と思ったのだが、記憶の底に埋もれていた・・のか記憶が明瞭ではなかった。

 

 

記憶を辿ってみると・・・高校時代に「表面ばかりを見ないで、もっと本当のところをみなさい」とか「エッセンス」が大事・・なんて言葉は日常的に美術室で言われていた言葉だった。モチーフ(対象)を目の前にして「物をもっと見なさい」という叱責・・「表面しか見てないじゃないか」・・・・現実の物を見ながら・・夢を見ているような感じだった。(10代)

<本質は現象する>とは、逆に言えば、目に見えている対象の背後に「本質」がある・・今見えているのは「表面」でしかない・・・まるで「禅問答」のような物言いだが、そうした無理難題の痛棒によって・・対象の「構造」を掴んだり「質感」を把握したり・・という自分なりの対象把握をつかみだしていったのだろうと思う。

21世紀・・・こうした19世紀的アプローチの意味はどうなんだろうか?と改めて、ヘーゲルの言葉に私は「動揺」しているわけである。つまり19世紀には「描く」という行為はかなり哲学的・芸術的だったようだ。ゲーテもかなり絵を描いていたようだ。

 

音楽がかなり早くから、感覚の標準化とその連関を「楽器」として定着させ、物理的・数学的和声を発見していたのに、美術の色覚の科学的コントロールの方法を手にいれたのは、コンピューターが「色光」を画材として扱えるようになった、ここ20年?ほどのことだろう。人間の感覚を道具として訓練しなくていい時代になって・・すっかり「単純に描くこと」の<神秘性>が無くなってしまって・・・・あらためて

 

<本質は現象する>・・・なんて言葉に驚いている・・ということだろう。